「新しい高校地学の教科書」を読む。良書。ゆえに改善が望まれる。

杵島正洋、松本直記、左巻健男「新しい高校地学の教科書」講談社ブルーバックス、2006年を読む。良書である。まさに、現代人としての最低限の知識を与える本である。

しかし、良書であるがゆえに、もっと良くしてもらいたい項目が目につく。いくつかあげよう。

1.各項のはじめに「問」が数問おかれている。とてもよいアイデアである。しかし、内容を良く見てみると、この「問」の位置づけについて、著者の認識が甘い。

項のはじめの「問」は、その項であつかう対象に対する読者の問題意識の提起ではないか。なにが分かっているのか、なにが分かっていないのか、分かっていないのはなぜか、どのような研究手段があるのか、現在の数値がちがったら、どのような別の世界になっているのか、等々の疑問を提起する。

要するに、読者に主体的な疑問をわかせる補助になるような問題設定であるべきだ。もっと読者の想像力を刺激する問題を出すべきだ。

2.読者に計算をさせるべきだ。いろいろなデータが蓄積されている。それをつかった簡単な計算はいつでも可能だ。読者に手を動かせる簡単な問題を出すべきだ。本文で計算の仕方を示しても良い。データをどのように使うと何が分かるか、を示すべきだ。

たとえば、月の質量から月面での重力加速度を計算する。太陽からの放射熱から地球に届く熱量を計算する。飽和蒸気圧から水蒸気の量を計算し、それから雨量がどれだけになるか計算する。簡単な計算対象はいくらでもある。

要するに、著者たちには、「演繹」という過程にたいする認識が甘いのだ。(多分ここが物理屋と地学屋の違いだ。)使える数学はどんどんつかおう。

3.データに基づき、物理現象を解説するのが本書の特徴だが、解説が行き過ぎていて、論理的になっていないところが散見する。独断とかわらない。学説が分かれているところでは、ある学説ではデータをこのように解釈し、違う学説ではおなじ(またはちがう)データをこのように解釈していると、論理的に説明すれば読者によく分かる。

学問は完成したものではなく、不断の再検討で変わっていくもんだ、ということを読者に示すべきではないか。

ともあれ、本書は良書であることは変わりがない。広く読まれ、常識(良識ではない)となることを願う。

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