ギリシャ語(54) ギリシャ語とラテン語(8)

中動態(続)

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これらの例から,文法家が考えていた「中間」という用語があらわすものは,形は能動態だが白動詞的に用いられるものか,形は中動態だが意味は能動態の他動詞というようなものらしく,これはまさしく中間の状態にある動詞だといえよう。このような設定はギリシア語の動詞組織の複雑さをうかがわせるもので,我々としては人称語尾による2っの区別によって能動態と中動態を分け,中動態の基本的な意味を考慮しながら,ひとつひとつの動詞の時制語幹について,その使い方を検討することが必要になる。
能動態に対する中動態の選択の基本的な動機は,能動態ならばその動詞のあらわす行為が他の対象に対して行なわれるのに対して,中動態ではその行為に主語がとくに関与し,結果が主語に関係をもつ点にある。ちなみに,古代インドのサンスクリットの文法家は,能動態の語尾をparasmaipada「他のための語」とよび,中動態のそれをatmanepada「自己のための語」とよんで区別している。例えば,ギリシア語の能動態「止めさせる,終わらせる」一中動態「止める」,「みせる,示す」「あらわれる,みえる」。
ラテン語の能動態の形を欠く動詞と同様に,ギリシア語にも中動態の形だけを使うものがある。例えば,「…したい」,「従う」,「いく,くる」,「横たわる」。ただギリシア語の場合には,全時制がラテン語のように整然としていないのが特徴で,アオリストは不規則の能動形である。また現在は能動形であるのに,未来には中動形が選ばれている動詞も少なくない。
その典型はその未来形はとなる。その他にも,現在形「きく」「知る」「学ぶ」のような例がある。なぜこのような不規則な現象があるのか,その解明はむずかしい。

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