ギリシャ語(42) アスペクトについて(13)

 アスペクトについて つづき

画像




英語  John was reading when I entered.

それぞれの文において,最初の動詞はある出来事eventの背景をさしだしていて,出来事そのものは第二の動詞によってみちびかれていて第二の動詞は場面(ここでは,私が部屋にはいること)をまるごとさしだしていて、その内的な時間構成にはふれていない。場面の全体は,分析のできない,ただひとつの全体としてさしだされていて,その場面を構成する,はじめ・なか・おわりという局面phaseはひとつにまとめられている。つまり,「はいる」という動作をつくりあげている,いちいちの局面に場面を分割しようという,こころみはなされていないのである。

この意味をになう動詞の形式は,完結相perfectiveの意味をもつといわれる。問題になっている言語に,この意味をあらわすための,とくべつの動詞の形式があれば,この言語は完結相のアスペクトperfective aspectをもっているということになる(7)。もうひとつの形式,すなわちジョンが読書しているという場面をのべている形式は,このようなし方で場面をさしだしてはいない。あからさまに場面の内的な時間構成にたちいっている。まえの例において、とくにジョンの読書のまんなかの部分はのべられているが,彼の読書のはじまりの部分とおわりの部分にはっきりふれているわけではない。このようなことから,まえにあげた文は、私がはいったのは,ジヨンが本をよんでいる時間帯におきた出来事である,と解釈される。つまり,ジヨンが本をよむという動作は,私がはいっていくまえからおこなわれていたし,そのあとにもつづけられたという意味をもっている。完結相と不完結相との意味のちがいは,つぎのようにも説明できる。完結相は場面を外がわからながめて,その内部構造を区別だてするということはけっしてしない。それにたいして,不完結相は場面を内がわからながめて,その内部構造に密接にかかわる。こういうふうにいえるのは,不完結相は場面のはじまりをふりかえってみることもできるし,そのおわりをみとおすこともできるからである。そして,また,もし場面がはじまりもおわりももたずに,全時間をとおしてつづいているとすれば,その場面にもあてはめることができるからである。

Bernard Comrie, Aspect - An Introduction to the Study of Verbal Aspect and Related Problems, Cambridge University Press, 1976, 山田小枝訳, むぎ書房1988。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック