書評。「伊藤清の数学」。われわれが思っていた以上に、伊藤清先生は偉かったらしい。

高橋陽一郎(編)「伊藤清の数学」日本評論社、2011年。弟子達が評価できないほど伊藤清は偉かった。この本を見てもそれは分かる。なぜなら、本書に寄稿している関係者のうち、伊藤清の学問業績をきちんと説明できているのは外国人だけなのだから。

西尾眞喜子はおざなり。池田信行は老人の繰言。杉田洋は学生風の感傷メモ。高橋陽一郎の人を見る目のなさの以前に、日本に人がいないのだろうか。

ひどいのは、池田信行。56ページに及ぶ長文を書いているが、同じことを何度もだらだらと書き連ねるのみ。このしつっこさは老人特有のもの。冒頭にある伊藤清の21歳のときの論文がいかに無駄を省いた達意の文章であるか再確認できる。数学は思考活動の結晶であるはず。それが池田にかかると、煩雑物だらけのガラクタオブジェ。嘆かわしいものだ。

ひとりダン・ストゥルックの文章のみ伊藤清の業績の説明になったいる。曰く「アイデアの源はしばしばアイデアの実装よりも奥深い。伊藤の理論はまさにその場合に当たると思う。私の目には、伊藤のアイデアの萌芽は第2節でのべたような考え方に含まれており、その名声と見事さにもかかわらず、伊藤の積分論は、特筆すべき巧妙な仕事とはいえ、その芽を育てるために必要だった単なる道具であったと映っている。」

せっかくだから、杉田洋の感傷的伊藤語録を引用しよう。

「分かるということは世界が変わるということです。分からなかったときとまったく違う世界に突入し、もう元には戻れません。」

「私は物分りが悪いのです。」

「この方法でうまく行く、とうだけではダメなのです。この方法でなければならない、というとことまで追いつめて、やっと数学になるのです。」

そう、天才は凡人には理解できないのです。
私など「確率論」(1953年初版)を何度読んでも理解できないままです。

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