高橋昌明「平家の群像」を読む。壮大なる石母田正へのオマージュ。

高橋昌明「平家の群像-物語から史実へ」岩波新書、2009年を読む。石母田正に学び、石母田を越える、壮大なるオマージュの書である。

君は、石母田正を知っているか。彼の「平家物語」岩波新書、1957年。名著の誉れの高い、感動的な本である。高橋氏は、この本により、平家の時代に呼び込まれ、石母田を越えるべく努力してきた。ここに、ついに、石母田へのオマージュが完成した。

そう、時代は変わったのだ。新史料も出た。新解釈もできる余地ができた。学問は進歩するものだ。石母田は「玉葉」を読んでいなかったはずだ。「平家物語」そのものへの読解も進んだ。それらの成果が、「平家の群像」となった。

しかし、石母田の時代は良かった。ロマンあふれる時代だった。政治的情勢が逼迫するほど、ロマン主義が隆盛するのか。現代の情報社会が、史実をあばく歴史書を作るのか。

評者の感想を言おう。ひとこと。感動しなかった。石母田の本は涙して読んだ。それが現代では難しくなっている。そう、現代は感動が阻害される社会になっている。

本書は、記述が細かすぎて、歴史書とはよびたくなくなる。著者もそのつもりたったのだろう。だから、「群像」とのタイトルをつけたのだ。個人のキャラクタを史料から再構成しようとしたのが、本書の主目的。政治史でもないし、歴史記述でもない。事実を追求するあまり、そっけない。歴史記述が「科学」になってしまった。個々の個人を見極めて、なにをしようとするのか。歴史に流される個人の悲哀?それなら、文学(虚構)で良い。

そう、文学と歴史の橋渡しを著者は狙ったが、それは、評者から見ると、成功していない。残念。

しかし、現代の平家の時代の研究レベルの一端は、おそまきながら、勉強させてもらった。武士について、「内乱」について、平家六波羅幕府について、福原について。

結論。良書である。力作である。現代の学問成果を知るために、万人にすすめる。

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