竹内洋「学問の下流化」を読む。京大のセンセイにしてはパンチ不足で常識的。

竹内洋「学問の下流化」中央公論新社、2008年 を読む。比較的狭い領域の対象ばかりで、意表をつく指摘も無く、新たな知見は得られなかった。常識的な評論・書評集というべきか。

1.東大コンプレックス。東大に入った人は、東大はご飯のようなもので、考察の対象にはならない。東大を落ちた人だけが、東大を対象にする。それも、屈折した感情を込めて。東大に関心のない人には、これが鼻につく。

2.書評の対象の範囲が狭い。自分の弟子の本を対象にしている。ちょっと、身内主義すぎるのではないでしょうか。

3.自分の書いた本に対する言及が多すぎる。文意を引用するわけでなく、自分がいかに広く仕事をしているかの宣伝臭がちらつく。

4.書評に内容が薄い。短文の書評が多いせいか、対象とした本の良さ、悪さが浮きだって来ない。もっとしっかりした書評が読みたいのに、上滑りが目立ち、こっちが欲求不満になる。

5.昭和17年生まれそのもの。要するに時代の子であることを示し、それ以上でも、それ以下でもない。逆に言うと、時代を超えようとする意欲・勇気に欠ける。自分で決め付けた枠の中で満足している。小市民。

京大にはむかし、高坂正堯がいた。いま、佐伯啓思(1949年生)がいる。竹内洋はこの中間。でも、最近の京都は刺激的なひとがいなくなった。惜しいことだ。

(辛口の書評になった。多分、編集者が、当たり障りの無い駄文ばかり集めたのだろう。)

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