村上陽一郎「人間にとって科学とは何か」を読む。村上センセイもご隠居さんになりました。

湯川秀樹,梅棹忠夫の対談書「人間にとって科学とはなにか」中公新書、1967年、を覚えている人はもう老人です。同名(「何」が当時はひらがなだった)の書を思い出して感慨にふけった。

1.湯川の時代は科学が輝いていた。科学に楽観していた。それから、はや、43年。光陰矢のごとし。時代のあまりの変化に、ただ、おろおろするばかり。

2.湯川は、遺伝子組み換えも、地球温暖化も、臓器移植も知らなかった。あったのは、核兵器による、kill and overkill だけだった。ゼロかいちの世界だったので、それだけ、解答が簡単だった。

それが。。。

3.胎児をいつの時点で人間と認めるのか。人間の死をどの時点で考えるのか。ES細胞の組み換えは倫理に反しないのか。こんな難しいことは、考えただけで、頭がおかしくなる。
当然の事ながら、村上センセイは、東洋的な妥協主義を表明される。日本人には分かりやすい解答だ。

4.でも、でも、それでは、人類が累々として築き上げてきた西洋思想はどうなるのか。哲学の連続性は一瞬のうちになくなるのか。人類の知的遺産はすべてご破算にしてよいのか。

5.やはり、村上流は問題の本質からの逃避・逃亡としか思えない。これでは問題の本質への斬り込み意欲がなくなる。最初から結論が分かっている。

6.愚見では、やはり、まだまだ、科学の分析主義は追求すべきとおもう。要素還元主義以外に、人類の作り上げてきた科学の姿は無い。

7.社会との関係についても村上センセイ楽観主義は、現役を引退して「離れ」に住んでいるご隠居の論議に似ている。現場の矛盾が身にしみていない。トランス・サイエンスはそれほど楽観できるものか。

8.ナチスの科学はわれらの同時代の科学だ。ルイセンコ然り。化学兵器・生物兵器・核兵器も、過去のものではない。危機的状況が続く中、layman-expert(scientist) が活躍できる余地があるのだろうか。

9.結論。村上センセイは、ハッツァン、クマさんの質問に答える長屋のご隠居になってしまった。



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村上陽一郎「人間にとって科学とはなにか」 新潮選書、2010年。
湯川秀樹,梅棹忠夫「人間にとって科学とはなにか」 中公新書、1967年。
(村上センセイはなぜ、この本について言及していないのか。、まさかアルツではあんめーし。)

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