新井宏「理系の視点からみた「考古学」の論争点」を読む。どの社会も閉鎖的ですね。

新井宏「理系の視点からみた「考古学」の論争点」大和書房、2007年 を読む。面白く、悲しく、さもありなむと感じた。

まず、著者は「金属考古学」が専門という。金属が専門、鉄鋼が専門、金属組織学が専門、とおっしゃる方にはお目にかかったことがあるが、「金属考古学」なる学問があるとは知らなかった。

「金属考古学」とはなにか。どのような研究方法をとるのか、いままでどのような実績(成果)があるのか、精度はどのようなものか、理論はどれだけ出来ているか、等々、この学問の基本を教えてもらいたいものだ。

本書では、多分、自分で考古学的対象物そのものを分析するのではなく、いままで発表されてきたものを、そとから再検討する、そんな方法がとられているのではないか。データ・マイニングという学問の分野がある。

それはそれでよい。宮崎市定は「七支刀」を分析した。彼は、本物を切り刻んだのではなく、歴史的な産物を歴史の中に位置づけ、歴史学のいままでの成果の上に、「常識」をもって解釈したもの。学問の方法として遜色はない。

さて、本書の白眉は、「三角縁神獣鏡」の金属成分分析データを再検討して、この鏡の出所を推定したもの。そしてもう一つは、古墳築造に用いられた尺度を、さまざまなデータから帰納したもの。(後者は金属考古学ではない。)ともに力作であり、重要な学術的な成果である。外からの素人考えだが、異論はない。立派な成果に思える。これが面白かったこと。

悲しかったのは、学会が部外者の新発見に目を向けないこと。なんと頭の固い御仁が集まっているのだろうか。

しかし、考えてみれば、専門家の閉鎖性は考古学会に限らない。理系の学会でも、残念なことに、こんなことは日常茶飯事である。たぶん、これが人間の性(さが)なのだろう。

しかし、国立研究所が学会での論文発表もせず、新聞発表を先立たせ、その内容を時がたつと勝手に変更しているとは、まさにあきれたことが。こんなことが、土器捏造事件の温床になっているのだろう。土器捏造事件は氷山の一角だと思えてくる。

考古学の分野で、理学者・工学者が出てきて一応の分析結果を説明しても、眉に唾して聞かなければならない。これを心しよう。本書の著者を含めて。

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