「佐藤勝彦最終講義宇宙137億年の歴史」を読む。東大の講義とはこんなものなのか。

「佐藤勝彦最終講義宇宙137億年の歴史」 角川選書 2010年を読む。あまりの俗っぽさに度肝を抜かれる。東大の講義とはこんなものなのか。

1.内容はどこにでもあるおはなし。数式はおろか、理論構成の論理が全くない。あるのは、一般向けの結論だけ。思考過程についての説明がまったくないのだ。これでは、「この結果をだまって受け入れなさい」といっているのに等しい。なにを仮定し、どのような論理・思考過程を経て、どのような結論に至ったのか。そして、その結論はどのように解釈できるのか。その結論で分からないことはなにか。今後の課題はないか等々。こういうことを語ってくれなくては、聞き手の役に立たない。聞き手に知識だけ授ければよい、というものではない。

2.著者の自慢が目立つ。確かに学問的な業績はあるのだろう。それはだれにも少しはあるだろう。そうでなくては税金を投入して大学教授の給料を払う理由はない。著者は、税金で給料をもらって食わせてもらってきた、ということを忘れているのではないか。「あなたの頭だけで世の中が成り立っているのではありませんよ。」

3.著者の視点があまりに局所的だ。世界観や哲学を呼ぶべきものがない。自分勝手な思い込みを、自分の狭い世界で展開しているだけ。世の中はもっと広いもの。自分のやった学問を世界の中、人類の歴史のなかで位置づけてみろ。人間とは何か疑問はわかないのだろうか。学問とはなにか、退官を機会に考えないのだろうか。

4.したがって、世界観がないから、今後の行くべき道が見えてない。考えようとしていない。世界を見よう、人間を考えようという姿勢がないから、今後の学問の道、人類の道について考えるそぶりさえみせない。大学とは、こんな人間ばかり育てるところなのか。

まさに、「最終講義」とは、そのひとを裸にする、おそろしい公開処刑の場だ。
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