ギリシャ語(45) アスペクトについて(16)

これまでにのべてきたことから,アスペクトは時間とは無関係ではない、ということがはつきりするだろう。

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そうであれば、まえに強調してあるアスペクトとテンスとの区別だては、このことによってぶちこわされるのではないかと,読者はうたがわしく思うかもしれない。アスペクトもテンスもともに時間とかかわっているのだが、しかしそのかかわり方はまったくことなっている。まえにのべてあるように、テンスは指示的なカテゴリである。つまり,テンスは,ふつうは現在の瞬間に関係づけることによって,場面を時間のなかに位置づけているのである。もつとも、もうひとつの,べつの場面に関係づけることによって、場面を時間のなかに位置づけることもあるのだが。しかし,アスペクトのほうは,ほかのなんらかの時点に場面の時間を関係づけるようなことはしない。それはむしろひとつの場面の内的な時間構成にかかわつている。このちがいは,場面の内的な時間situation-internal time(アスペクト)と場面の外的な時間situation-external time(テンス)とのちがいである,ということができるだろう。John was reading when I enteredというような文において,ふたつの,ことなる形式は、私のはいるという場面をジヨンがよんでいるという場面のなかに内的に位置づける,指示的な機能をはたしているようにみえるかもしれない。しかし、場面の内的な構成をとらえるし方が、これらの形式においてはことなっていて,この見せかけの指示的な機能は、そのことからおこつてくる,二次的な結末にすぎないのである。Was readingは、よんでいるという場面の内部へわれわれをつれていく。それゆえに、ひとまとまりの全体として,もうひとつの,べつの場面が,その内的な構成にはかかわらずに,われわれにあたえられると,このあたらしくあたえられた場面は、おのずから、われわれがすでに身をおいている時間の一点に時間的に位置づけられることになる。つまり、ジヨンがよんでいる場面に内的に位置づけられる、ということになる。おなじように、完結相の意味をもつ形式の連続は,出来事の連続をさししめすものと、うけとるのが順当である。たとえば,the wind tore off the roof, snapped the clothesline, and brought down the apple-tree(風は屋根をふきとばした、物ほしづなをひきちぎった。そして,りんごの木をたおした)。これらのみっつの場面のおのおのは,その内的な構成にはふれずにさしだされているのだから,それぞれがひとまとまりの出来事であって,それらが継起的にあらわれてくると,解釈するのが自然である。さらに,これらの場面は,テキストにのべられているのとおなじ順序でおきたものであると,うけとるのが順当である。しかし,この解釈はけっして絶対的なものではない。たとえありそうにはないにせよ,このみっつの出来事が同時におきることもじゅうぶんに可能であって,この可能性は,適切な副詞的な修飾語を,the wind simultaneously(風が同時に……)というぐあいに,文につけくわえることによって,はっきりさせることができる。もうひとつの可能性は,話しの全体がみっつの出来事の順序には関心をしめさずに,ただたんに風による被害の結果の全体をながめて,記録することである。このばあいには,話し手は実際におきた出来事の順序さえしらないこともありうる。

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