ギリシャ語(57) ギリシャ語とラテン語(11)

「法」の意味

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ところで我々が「法」という訳語でよんでいるこれら5種類の動詞の範嬢を,ギリシア人は特別な用語でとらえていたが,その「曲げ」の真意はちょっと理解しにくい。
注釈家によると,これは音声でしるされる心の願いであり,心の選択,心の傾きであるという。この用語ですぐに想起されるのは,名詞の格における直と斜の区別であろう。事実,この動詞の格のようにみて,直説法を直,その他の法を「傾いている」とする説もある。
ローマ人もこの用語の理解に迷ったのか,modus(英語mood)という語を当てている。これは本来は「一定の尺度,規定」であり「あり方」だから,話し手が問題となる事柄をどう述べるかという「心のあり方,気持ち」ととれば,この表現は適切である。
とすれば,これはギリシア語の「態」の訳に使われたよりも適切なように思われるのだが,結果的にローマ人はこちらを「法」の訳に当てたわけで,我々としては,こちらのほうがギリシア語のより近づきやすい。つまり,「法」というのは,それが過去,現在,未来のいずれに属することであれ,話し手が話題にする事柄を事実としてそのまま述べるか,あるいはそこになんらかの主観を交え,希望とか疑惑の気持ちをふくめて述べるかによって,直説法とそれ以外の法に分かれることになる。そのもっとも典型的なものが命令法である。これは話し手が相手に対して直接に要求するときに使われるのだから,話し手の強い意図をむき出しに表現する形である。願望法は形としてはギリンア語にしかないが,これも本来は話し手のかくあれかしという気持ちを適確にあらわそうとしたものである。また接続法も,その名の示すとおり,副文・従属文に主として用いられるが,これも話し手の要求の気持ちをこめた目的をあらわす文などに活躍する。もちろんこの法も独立文では,人称によって意志や命令といった主観的な思いを伝える役割を担っている。
願望法と接続法という2つの法を使い分けるギリシア語やサンスクリットと,接続法しかもたないラテン語とでは,同じ接続法でも機能負担量が違うから,用法の幅も当然異なってくる。そしてこれらの法を使う表現に一定の型ができあがると,それが文法の規則になってくる。「もし私が鳥であったら…」とか「私がそのときそこにいたならば…」といった非現実の仮定文などはそのひとっの典型で,現代の英語のように,とくにこれらの法の独立した形をもたなくとも,表現の上に固定した型の名残りがうかがわれる。

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